日本はなぜ、勝っていたのに負けたのか 太陽電池・第一次敗戦の記録
技術も特許も生産も、すべて世界一だった。なのに、15年で撤退した。その構造を分解する。
技術も特許も生産も、すべて世界一だった。なのに、15年で撤退した。その構造を分解する。
かつて、日本は太陽電池の王者だった。
これは、比喩じゃない。
文字通り、世界一だった。
2004年、世界の太陽光パネルの半分以上は、日本製だった。シャープ、三洋電機、京セラ、パナソニックが、業界を牽引していた。
半分以上。
世界中の太陽光パネルの、2枚に1枚が、日本製。
そんな時代が、確かにあった。
それが今、どうなっているか。
現在、世界シェアの上位を独占しているのは、中国企業だ。
日本のメーカーは、その多くが市場から撤退した。
なぜ、これほど完璧な勝利が、
これほど完璧な敗北に変わったのか。
今、ペロブスカイトという新しい太陽電池で、
日本は再び「世界一」に手をかけている。
だからこそ、一度目に、なぜ負けたのかを、
冷静に振り返っておく必要がある。
感情ではなく、構造として。
どれほど、圧倒的だったか
まず、当時の日本の強さを、正確に把握したい。
技術でも、日本は突出していた。
1985年から2007年にかけて、日本の研究者が出願した太陽光関連の特許数は、米国と欧州を合わせた数の、2倍以上にのぼった。
生産量でも、世界一だった。
2000年代前半には、シャープが世界シェア1位。
京セラ、パナソニック、三菱電機などの日本企業が、上位5社を占めていた。
技術も、特許も、生産も。
すべてにおいて、日本は先頭を走っていた。
「太陽電池は、日本のお家芸」
誰もが、そう思っていた。
そして、それは事実だった。
だからこそ、その後の転落は、深く考える価値がある。
圧倒的に勝っていた者が、なぜ、負けたのか。
敗北のプロセスを、分解する
日本の敗北は、一夜にして起きたわけじゃない。
ゆっくりと、しかし確実に、進行した。
そのプロセスを、順を追って分解してみる。
第一段階:日本が、市場を作る。
日本企業が高性能な太陽電池を開発し、
市場そのものを立ち上げた。
初期の需要を、日本製品が満たしていた。
第二段階:市場が、成長する。
環境意識の高まりと、各国の補助金政策で、
太陽電池の市場が、急速に拡大し始める。
「これは儲かる」と、世界が気づく。
第三段階:中国が、巨大な設備投資を始める。
ここが、転換点だ。
中国は、国家支援を背景に、桁違いの設備投資を行った。土地の優先提供、輸入関税の減免、工場立地地域への電気料金優遇 多面的な政策支援を通じて、世界の市場を獲得していった。
安価な労働力と電力を武器に、
中国は、シリコンの大量生産を開始した。
第四段階:規模の経済が、価格を破壊する。
大量に作れば、単価は下がる。
中国製パネルの価格が、急速に下落していく。
日本製が高性能でも、
価格差が開けば、市場は安いほうを選ぶ。
第五段階:日本企業の採算が、悪化する。
価格競争についていけず、
日本メーカーの太陽電池事業は、赤字に転落。
第六段階:撤退。
一社、また一社と、日本企業が市場から去っていく。
補助金が打ち切られ、中国の国家主導の大量生産が本格化すると、15年も経たないうちに、日本の量産メーカーは市場から撤退した。
こうして、第一次太陽光戦争は、
日本の敗北で、幕を閉じた。
なぜ、技術で勝っていたのに負けたのか
ここが、最も重要な問いだ。
技術は、勝っていた。
特許も、勝っていた。
なのに、負けた。
理由は、シンプルだ。
「技術で勝つこと」と「産業で勝つこと」は、別物だからだ。
太陽電池は、最先端の実験装置じゃない。
大量に作って、安く売る「製品」だ。
そして製品の勝負は、
技術の高さではなく、
「同じものを、いかに安く、大量に作れるか」で決まる。
これを「コモディティ化」という。
コモディティ化が進むシリコン系太陽電池は、メーカーの入れ替えが容易で、価格が年々低下する過当競争の市場になった。当面は、規模の経済でコスト優位に立つ中国企業がシェア上位を占め、日本企業の再参入は難しい 専門家は、そう分析している。
つまり、太陽電池は、
「誰が作っても同じ」になった瞬間に、
「一番安く大量に作れる者」が勝つ市場になった。
そして、その勝負では、
国家を挙げて設備投資をした中国に、
一企業の採算で動く日本は、勝てなかった。
技術は、入口にすぎなかった。
本当の勝負は、その後の「量産投資」にあった。
日本は、入口で勝って、本番で負けた。
「リスクを避けた」ことが、最大のリスクだった
もう一つ、見逃せない要因がある。
日本企業の、意思決定の仕方だ。
市場がまだ不確実なとき、
巨額の設備投資をするのは、怖い。
「もし市場が伸びなかったら、投資が無駄になる」
「もっと確実になってから、投資しよう」
これは、一企業の判断としては、合理的だ。
株主に説明できるし、慎重で、堅実だ。
でもその「慎重さ」の間に、中国は動いた。
市場が確実になるのを待たず、
国家の後押しで、先に巨大工場を建てた。
市場が立ち上がった瞬間、
中国には、すでに大量生産の体制があった。
日本が「さあ投資しよう」と思ったときには、
価格で、もう勝てなくなっていた。
リスクを避けた結果、
市場そのものを失った。
慎重さが、最大のリスクになる。
これが、第一次敗戦の、最も苦い教訓だ。
「負けた」と分かったときには、遅い
そして、この敗北には、
時間に関する、残酷な性質がある。
産業の敗北は、
「負けた」と数字で確認できる頃には、
すでに手遅れになっている。
なぜか。
製造業には、こういう循環があるからだ。
- 量産規模を拡大する。
- コストが下がる。
- 受注が増える。
- さらに設備投資する。
- 部材メーカーも周りに集まる。
- さらに安くなる。
この循環が、一度回り始めると、
後から補助金を入れても、追いつくのが、極めて難しい。
つまり、勝敗は、
「シェアが逆転する」ずっと前に、
「どちらが先に量産の循環を回すか」の時点で、
すでに決まっている。
シェアの数字が逆転したときには、
それは「結果の確認」でしかない。
勝負自体は、その何年も前に、終わっている。
だから、
「中国のシェアが80%になった」と報じられた頃には、
とっくに、手遅れだった。
そして今、二度目が始まっている
ここまで、第一次敗戦の構造を見てきた。
整理すると、日本が負けたのは、こういう型だった。
- 技術で先行する。
- 市場を作る。
- だが、量産投資をためらう。
- その間に、中国が国家規模で設備投資する。
- 規模の経済で、価格が破壊される。
- 日本は採算が合わず、撤退する。
- そして、シェアが逆転したときには、もう遅い。
この型を、頭に入れてほしい。
なぜなら、
今、ペロブスカイトという新しい太陽電池で、
まったく同じ型が、再現されようとしているからだ。
日本は、また技術で先行している。
日本は、また市場を作ろうとしている。
そして中国は、また、
先に、巨大工場を建て始めている。
デジャヴのような光景が、今、目の前で進行している。
二度目は、一度目と同じ結末になるのか。
それとも、日本は、教訓を活かせるのか。
その検証を、後編で行いたい。
今度は、感情ではなく、
「負け始めを示す、具体的な指標」とともに。