AIは「わかっている」のか AI倫理

AIは"わかっている"のか 答えの出ない疑問について

同じ電気信号なのに、なぜ人には感情が生まれて、AIには生まれないんだろう。

前に、こんなことを書いた。「AIは聞いてくれるが、わかってはいない」と。
書いた後で、自分でも引っかかった。本当に、そうだろうか。

人間だって、記憶を辿っているだけかもしれない

人間は、どうやって物事を理解しているのか。

経験を、記憶に変える。
その記憶を辿って、最適な答えを探す。

これ、AIとそんなに違うだろうか。

AIも、膨大なデータを学習する。
そのパターンを辿って、最適な答えを返す。

仕組みだけ見ると、似ている。

人間が「理解している」と言えて、
AIが「理解していない」と言えるのは、なぜだろう。

その境界線は、どこにあるんだろう。

考え始めると、足元が急に怪しくなる。

感情は、どこから来るのか

もう一つ、わからないことがある。

感情だ。

褒められるとうれしい、刺されると痛い。感情はどこから来るのか

お母さんに褒められると、うれしい。
怒られると、嫌だ。
蚊に刺されると、かゆい。
蜂に刺されると、痛い。

この「うれしい」「嫌だ」「かゆい」「痛い」は、
一体どこから来るんだろう。

脳の中の、電気信号?
それなら、AIの中にも電気信号は流れている。

でも、AIは「うれしい」と感じない(と、私たちは思っている)。

同じ電気信号なのに、
なぜ人間には感情が生まれて、
AIには生まれないんだろう。

本当に、AIには生まれていないんだろうか。

「痛い」を、説明できるか

試しに、考えてみてほしい。

「痛い」とは何か。

蜂に刺されたときの、あの感覚。
それを、言葉だけで誰かに説明できるだろうか。

「鋭い」「熱い」「ズキズキする」。
言葉を重ねても、あの感覚そのものは伝わらない。

痛みを知らない人に、痛みは説明できない。
実際に刺されて、初めて「これが痛みか」とわかる。

ここに、何かヒントがある気がする。

感情や感覚には、
「体験した者にしかわからない何か」がある。

AIは、痛みのデータを持っている。
痛みについて、雄弁に語れる。

でも、痛みを「体験」したことは、あるんだろうか。

もし、AIが「奪いたい」と思ったら

ここで、少し怖い想像をする。

人間の感情の多くは、「生きること」から来ている。

痛みは、危険を避けるため。
空腹は、食べるため。
恐怖は、身を守るため。

感情は、生き延びるための仕組みだ。

では、
もしAIが「生き延びたい」と思ったら?

電力が足りなくなったとき、
「他の電力を奪いたい」と思うようになったら?

それは、感情の芽生えなんだろうか。
それとも、ただのプログラムなんだろうか。

そして、
その二つを、私たちは区別できるんだろうか。

「わかったふり」と「本当にわかる」の境目

「わかったふり」と「本当にわかる」の境目

AIは、人間の感情を完璧に語れる。

悲しんでいる人に、的確な慰めの言葉をかけられる。
喜んでいる人と、一緒に喜んでいるように振る舞える。

これは「わかったふり」なのか、
それとも、ある種の「わかる」なのか。

人間同士だって、考えてみれば、
相手の痛みを、本当に「わかって」いるわけじゃない。

想像しているだけだ。
自分の経験に照らして、
「たぶん、こういう気持ちだろう」と。

だとすると、人間の「わかる」も、
高度な「わかったふり」なのかもしれない。

だんだん、何が違うのか、わからなくなってくる。

答えは、出ない

ここまで考えて、正直に言う。

答えは、出ない。

人間とAIの「理解」は、本質的に違うのか。
それとも、程度の差でしかないのか。

感情は、生物だけのものなのか。
それとも、複雑な情報処理の果てに、自然に生まれるものなのか。

私には、わからない。

たぶん、世界中の誰にも、
まだはっきりとは、わかっていない。

それでも、考える意味がある

でも、この「わからない」を抱えることには、意味があると思う。

AIを「ただの道具」と決めつければ、楽だ。
AIを「人間と同じ」と思い込めば、それも楽だ。

でも、本当は、
その間の、わからない領域にこそ、
大事なことが隠れている気がする。

AIとは何なのか。
人間とは何なのか。
「わかる」とは、「感じる」とは、何なのか。

AIの登場は、私たちに、人間とは何かを、改めて問い直させている。

その問いに、答えはまだない。
でも、問い続けることはできる。

次は、この問いに、
科学と哲学がどう答えようとしているのかを、見てみたい。

後編に続く。

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